恵那市岩村町には、「鴨長明終焉の地」と伝わる塚があります。本当かどうかはわかりませんが、市内には同時代に生きた西行にまつわる史跡が多く残っていますので、当時の人々にとって、この地は一種の保養地、特に精神面での、として重宝されていたのでしょう。都は戦乱の真っ只中、難を逃れてたどり着いた安息の地が恵那だったとしても、不思議ではありません。

その頃に比べれば、恵那市と都の距離は格段に縮まりました。京都への日帰り旅行も出来なくはありません。地方都市の宿命として、人口減少という大きな課題を抱えてはいますが、当時の人々にならえば、「週末人口」を維持し続けるのはさほど難しくないように思います。

名古屋をはじめとする都心部から、週末だけこの地域で暮らす、そんな人たちは意外と多く、土日だけオープンする喫茶店も珍しくなくなりました。オーナーは都心部に住居を構えている人、いわば現代版の鴨長明、西行です。

こうした人たちの心の奥底にあるノスタルジーをくすぐる限り、定住人口の維持は難しくても、週末人口の維持はできます。

”思いきや 都を余所に はなれ来て 遠山野辺に 雪消えんとは”

鴨長明が最後に詠んだとされるこの歌に共感できる人たちが、足を運ぶ場所であってほしいと願いつつ、今年最後のブログの締めにしたいと思います。