最近の「お城めぐりブーム」には目をみはるものがあります。遠い学生時代に似たようなことを卒業した筆者としては、とても複雑な気分です。

中津川市を代表するお城といえば、苗木城。お城ブームの影響でしょうか、「日本のマチュピチュ」と呼ばれることもあるようです。「日本のマチュピチュ」元祖の竹田城と比べると見劣りする部分もありますが、立地条件等を考慮すると決して誇張ではありません。

さて恵那市と中津川市は中山道という共通の括り方ができますが、もう1つ木曽川水運という括りもできます。木曽の美林で切り出した木材を木曽川の水運を生かして、伊勢湾へと運ぶ道、伊勢神宮の式年遷宮で使われるのも、古代からこの水運が発達していた証でしょう。(ちなみに恵那山はかの天照皇大神の胞衣(えな)が埋められているという伝説があります。伊勢神宮で奉られている神様の生まれた場所として神聖視されているのは、木曽ヒノキと神宮の関係に重ねることが出来ます。)

話は再び苗木城に戻ります。苗木城も木曽川のほとりにあります。中山道を使って大軍を動かしても、木曽川という天然の要害に守られた苗木城を攻略するのは至難の業。この地域の木曽川は山と山のV字の谷底を流れており、南北で完全に分断されていました。

合併前の中津川市が北部方面で開発が進まず、恵那山方面の南部へと開発に力を入れざるを得なかった理由がよくわかります。それがたとえ北垂れであったとしても、です。恵那峡大橋をはじめ、木曽川の北部と南部を結ぶルートが幾つも出来た現代では手付かずだった北部で分譲地がどんどん供給されています。