「木曽路は全て山の中である。」、この有名な一節は恵那市にも当てはまります。中山道46番目の大井宿が現在の中心市街地の元となり、本陣も置かれていました。
この大井宿ですが往時は美濃16宿、つまり岐阜県内の中山道の宿場町、の中で最も栄えていたと言われています。その理由は何だと思いますか?
答えは簡単、単に当時の旅行者にとって一番休憩を取りたくなる場所だったから。仮に京都から江戸方面への旅だとしましょう。1つ手前の大湫宿は、現在の瑞浪市。この地域の市境は通常険しい山や峠のある場所ですから、大湫宿から大井宿までは結構な難所だったわけです。朝、大湫宿を出ると大井宿に到着するのはちょうどお昼時。歩き疲れてお腹も減った旅人がのどを潤し、胃袋を満足させる場所、それが大井宿だったわけです。そして当日の宿泊先は隣の中津川宿。険しい木曽路を行く準備として、当時はこれが一般的だったはずで、この旅行プランは、かの和宮ご一行様も選んでいます。
いわば現代版SA(サービスエリア)が恵那市、PA(パーキングエリア)が瑞浪市、中津川市だったわけです。もちろん宿泊場所としても栄えてはいたのですが、あくまでもターゲットはランチ客。徒歩で夜間に移動することが困難だった時代ならではですが、今でも通用する商売の秘訣ではないでしょうか。